日蓮大聖人37歳 弟子二祖
日興 入門13歳
第一回「国家諫曉1260年7月16日」
北条時頼に立正安国論を提出いたします 法然念仏の背信行為説きましたの
幕府はそれを用いず、かえって各宗派の坊主たちと結託しまして草案を襲いまして伊豆に流罪されます苦難の二年余り同行しました弟子の
日興は15歳でした
赦免後、小松原の法難等襲撃が続きました
第二回 「国家諫曉1271年9月」
またもや捕らえられまして夜半 竜口の刑場にて秘密時斬首
そのとき不思議な事態が起こりますの 死刑の実行ができません飢え死にさせるべく佐渡へ流されますの 弟子の
日興は25歳
師50歳
佐渡 塚原三昧堂(墓場のお堂)で二年余零下20度の厳冬を師弟でしのぎますの
その間千人を超える諸宗の坊主との法論対決 塚原問答の有様(弟子入りを願う他宗坊主たち)そのほか自界叛逆難の予言などございまして1274年3月14日に佐渡から鎌倉に帰りましたの佐渡での帰依者はあの 夜陰に紛れましてご飯のおひつを運ぶ阿仏房・千日尼夫妻・最蓮房等大勢の弟子ができましたの 先に進めましょう 鎌倉での第一歩は
第三回目の国家諫曉でしたの
結果は受け入れられません身延山に向かいます
*1279年10月12日 本門の戒壇 大御本尊を建立日蓮大聖人は
日興に大御本尊と身延山久遠寺の別当をはじめ後世の一切を託され
1282年10月13日
池上宗仲 本門寺(東京都大田区)で入滅いたします
日興はその後 五老僧の違背や誹謗正法により身延離山を決意しまして上野郷門下南条時光の懇願に応じ富士の大石原に
*1279年10月12日 本門の戒壇 大御本尊を建立身延から富士の大石寺に
人間とはなんとむずかしい生き物でしょうか釈迦をはじめ天台大師もそうでした
日蓮大聖人も入滅により辺りの風紀が変わってゆくのです二祖
日興はそれをどう受け止めたのでしょうか
富士の大石寺は現在の法主で67世ですの
戒定慧の三学でお示し致しましましたように仏教には
如説修行がありましてこれを実践しませんと修行にはなりませんのよ
「二祖
日興」のあと何十人の法主が実践してきたのかわかりませんがとにもかくにも昭和になりましたの大石寺は大疲弊いたしまして惨憺たるものでしたのここにわが
初代牧口常三朗と弟子である
二代会長戸田聖成が大石寺復興を掲げ行動を起こしましたのよ 苦闘の50年そして
三代会長は世界へ向かいますの
192カ国にこの修行を教え伝えましたの 今現在この修行をどれだけの人が実践していると思いますでしょうか
国連をはじめ世界の研究機関そして世界の知名人70回の世界平和旅 対談集 アメリカハーバード大学の二度の講演 各国の勲章
300の学術機関の博士称号 今現在でも続いておりますのよ 名誉博士称号とか
ほんとうに驚いたことにまるっきり無視し続けている国が世界中でたった一つありますのよそれは何処でしょうか NHKをはじめこれだけ報道がありますのにこの事実を彼らの口から聞いたことがありませんのよたった一度もこれはいったいどういうことでしょうか
十字御書
影は体から生ずるものであり法華経を敵とする人の国は、体に影が付き添うように禍(わざわい)がくるでしょう 正月五日
日蓮 在御判
法華経を敵とする国それは私たちの国ですのよご存知でしたか
- 2012/02/05(日) 14:17:59|
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